2007年1月13日 (土)

新編・吾輩は犬である  第1節

吾輩は犬である。とっしょりで目が薄く白んでいる当年とつて13歳。シエルテイ犬と血統書にはあるが、併し乍ら最近どうも吾輩のルーツに疑団がむらむらと生じておる。一つは体重の問題である。(主人の体重+吾輩の体重)-主人の体重=吾輩の体重であるによつて、主人が吾輩を抱え100Kg制限のヘルスメーターに載ると針はなんと100Kgを振り切り計測不能なのである。主人が通常びとより重いのか吾輩が通常シェルティより重いのか。じつは両方のやうな気がするのである。

といふのもこないだ横丁のシエルテイ仲間のゴン吉君が飼主さんに連れられて来たのである。「首つ玉に瘤のやうなものが出来ているんで其の犬の首を触らせて貰ひたいんやけど」節でごつごつした手で吾輩を吾輩の首を按摩しだす。ぐいぐいやるものだから首が痛い。「無いな」。ぐりぐりごりごり。「此処も無いな」。ごりごりぐいぐい。吾輩辛抱堪らず「きやん」と絶叫。「あ、判った。毛玉が二個あるだけか。ゴン吉帰ろか。ほなさいなら」。凝りもしていない首をさんざん揉まれて礼もなし。

ところでそのゴン吉君は同じおのこであるのに体重が吾輩の2/3程。9Kgと云つておつた。だいたい吾が犬種としては普通の域である。吾輩の体重は推定14~16Kg。大柄ではある。併し近所のおばはん連中からからはこの歳でもおなごに間違われ「可愛いなあ」とよく言はれるのである。沈魚落雁とは云はぬが結構近所では美形で有名なのである。

だがほんたうに吾輩はシエルテイなのだらうか。疑問になり系図を引つ張り出し見たのである。なんと爺さんの1人の名に「なんたらかんたらラツシー」とある。ラツシーとはあの名犬ラツシーか。コリー犬の名ではないか。シエルテイ犬の馬鹿でかいものはタイプ改良の名目で導入された血が原因といふのは吾が犬界では常識である。またラツシーといふ名とコリーといふ犬種は必ずしも関係があるとは云へないからさう神経質になるに及ぶまい。むしろ賢い犬とさるるコリーの血が入つているのもまたよろしと思ふべし。

名犬と云へば「名犬リンチンチン」。たしかシェパード。この犬種も賢いとさるる。リンチンチンで思ひ出した。「探偵ナイトスクープ」といふ高尚な教育番組を見てゐたら沖縄の味噌汁の1種「チンポーラ汁」を是非食べたいといふ依頼があつた。依頼文に何回も「チンポーラ汁」が出て来るので秘書の岡部まりさんは「チンポーラ汁」の部分を何故か飛ばして読んでゐた。併し西田局長などは補ふやうに「チンポーラ汁」を読み加へてゐた。

沖縄でも本島では珍しきもので石垣島に飛んだが見つけられず、そのまた離島の黒島といふ処でやつとそれに巡り遭へたのである。然も「チンポーラ」は間違ひで「チンボーラ」だつたのである。海岸に棲息する川のカワニナに似たやうな一群の巻き貝の総称だつた。あの秘書の赤面と憮然はこの世にないものに対してだつたのである。サザエのような味で旨いことは旨いらしい。

さう云えば奥播磨の千種町では神事に使用する榊の代用としてヒノキ・シラカシ・シノブヒバを使用する。そして注連縄を括る植物として「チンチンカズラ」を使用するのである。同じやうなものである。主人のパソコン画面に映るHNにも「●り●ん氏」といふ御仁あり。女性(にょしょう)と思しき人までなんの恥ずかしげもなくふ●ち●さん、と呼びかけてゐる。ネットとテレビでは世界がちと違うのかも知れぬ。テレビでは放送禁止用語ではあるまいか。

|

2007年1月14日 (日)

新編・吾輩は犬である  第2節

吾輩は老齢で既にお散歩嫌ひになつてゐるのである。併し乍ら老齢であれば散歩嫌ひになるとは一概には言へぬ。先代の番犬♂なんぞは14歳で死ぬるまでお散歩は欠かさなかつた。朝の物音を目の色変へて待ち構へておつた。知人から今日死んだと聞いた雑種犬♀15歳も死ぬるちよつと前まで散歩してゐたとか。併し吾輩はもう散歩は辟易である。家から20M歩いたら帰るやうにしてゐる。人生いろいろワンちやんもいろいろなのである。

ある日、「むいむい居るか。かいかい虫居ないか。居なければ公園まで連れて行つたろけ」と主人は云つた。むいむいたらかいかい虫たら幼児語をご老人の吾輩に云ふ事自体失敬である。痩せても枯れても吾輩は年輪を積んだ犬で幼犬ではないのである。ワンコ族の死ぬる迄幼児語で語りかけらるる風習をば改善しなければならぬ。これも犬権拡張運動の一環なり。

そやこやして吾輩は久方のお散歩に出かけたのである。ただ散歩と云つてもふつう梃子でも遠くには歩かぬ。よつて自動車に乗つて公園まで行かされたのである。なんの恥ずかしきことやあらん。最近の若きワンコ族は自転車の前籠や後ろの荷台に載せられて散歩してゐるではないか。これは散歩ではないといふ識者の意見もあるが目玉は散歩してゐるであらう。

とは云へ最近足腰がめつきり弱くなつた。小便などしたい時は家の者の膝などをちよんちよんちよんと軽く叩くか目の色を変へてワンと鳴き外の方に顔を向ける仕草を気づかれるまで何回か繰り返すのである。これが厠所望の合図なのである。家の者はそを知りて戸を開ける。飛び出しじよんじよろりんとやるのである。犬の尿は結構臭い。終わりてぷるぷるぷると雫を払ひ家の中に入るのであるが外と内には10サンチほどの落差があり時々足をその落差に引つ掛けすつてんころりんことこけて仕舞ふことがある。足腰が弱くなつたものだ。嗚呼情けなや情けなや。

さてその公園に着くと矢鱈喧しい。キーン、ワー、喇叭、黄色い声援。しかも若者やおばはんが矢鱈多い。誰ぞが青いハンカチで汗を拭くとワーと歓声があがる。ハンカチぐらいで騒ぐ人間の心理はおかしなものである。吾輩は若き頃にはゴルフボールや野球ボールを何処からともなく咥へて来て主人に訝しがられたものである。今はもう玉には興味なしついでに吾が玉もなし。

公園をお散歩してゐると鳩の群れが何処からともなく寄つて来る。主人はチースのかけらを投げる。益益鳩が寄つて来るのみならず雀まで寄つて来るではないか。主人は串にした焼鳥をやろうとしたがちと考へて止めたやうだ。チースを鳥らが食ふなら焼鳥も食ふのではないかとふと実験心が起きたのだらうが共食ひになるとでも思つたのであらう。それとも、個人情報の暴露になるやも知れぬが主人の名は○鶏○といふのである。鶏の肉を鳩や雀にやる事に少しく良心の呵責を覚へたのであらうか。いな、さうではないだらう。焼鳥を自分で旨さうに食つてゐたからである。

|

2007年1月15日 (月)

新編・吾輩は犬である  第3節

甲子園球児に成るのも暑は夏い。だからハンケチを使ふ。秋の夏くもない日にハンケチを使ふのは尋常ならず。そこがおかしきところではあるが今や球技に興味のない玉無しニューハーフ爺さん犬たる吾輩にとつてはだうでも宜しく、球技といふのはセカセカしたるによつて実にあつくろしいのである。おまけに応援団の歓声嬌声笛太鼓三味線が余計に暑さを倍化させる。人間の多くは野球が好きらしいがなぜか主人はさうではないらしい。子ども会の頃の連続三振が寅馬になつて爾後嫌ひになつたのか。併し人間の若い衆はさうする事により光るらしいのである。光るも光る球児の坊主頭は黒光り。されど吾輩は犬である、名前は既にある老犬なり。炎天下の惰眠と呼ばれやうが黒舐郷裡に遊ぶが一等である。

吾輩らはタレント犬等を除き常住坐臥行屎送尿これ時間に逼らるる事なし。更に超邁として死をも懼れぬ。こは多くの人間のやうに知ったか振りの借り物安物哲学を吹聴しておるに非ず、大気焔を上げておるに非ず。黒い鼻の先つぽから少しく糞付きたる尻尾の先つぽ迄、死は天然自然の吾と同じものとして生まれ落ちたる折りから心得ておるといふか渾然一体なるものによつて死の如きもの懊悩する事なし。このやうな高邁なる精神こそ吾輩らの大特徴なり。嘘だと思ふなら死を懼れている犬を探してき給へ。もし居たなら町内を人間のやうに二本足で一周して進んぜやう。

つまり死も昼寝も同然なのである。老犬になると其の昼寝のみならず夜寝といふか、昼も夜もないわい、殆んど一日ぢゆう就褥しておるのである。寝るといふても3種類ありて、先づ目を閉じて寝る、次に目を開けて開けてうつらうつら朦朧の境地をさ迷ふ、してその中間に目を開けて熟睡するあり。最後のはよく主人に指摘さるる。この時の目玉は腐つた金目鯛のやうになつてゐる由。覚醒時のきらきらアーモンド目玉と全く異なると主人は言ふ。丸で覚醒剤常用者の目玉だと言ふ。併しこの時の曖々然昧々然たる主客合一、立ち罩める瑞雲天上世界こそ安楽なれ。主人によれはこの時に夢を見ているのではあるまいかと。四肢を駈けるやうに動かしたり、ワンワン吼えることもあると。野原を駆け回る若き頃の夢を見ているのであらうか。とんとそんな夢の記憶が残ってゐないのである。

さて吾輩の寝相や如何に。夏は仔犬君らによく見る寝方で板面等に上から見ると真横に寝るのである。冬は基本的には夏と同じ寝方であるが電気座布団の上に置きたる犬用寝床の上にやや背を丸めて寝る。たぶん三段腹だからかうなるのだらう。スマートな犬の真横でなく縦に犬小屋で寝ておるのをよく見る。腹這ひに座る場合も妙な具合になるからさう推定できるのである。前脚は肉球を板面につけて二本の脚を揃へる事が出来るが後脚が二本とも右側に出て仕舞ふのである。カンガルー座りを想像して頂ければよろし。腹が出てゐるといつても候(そうそう)として反り返つてないところが御愛嬌である。

かうして寝たり座つたりして月日は過ぐる。この家は夏炉冬扇を宗としてゐるによつて暖房冷房ストーブカキ氷は殆んどつけぬ。夏は団扇。今年の夏は散髪し丸裸になり、さう暑くは無かつた。去年は毛がふさふさの侭だつたから暑かつた。扇風機の前の一等席の前でいつも昼寝してゐたのである。

夏の昼寝は寝入つて仕舞へば醍醐の妙味蕩けるばかりである。譬へれば不一家のシユークリームの如きでベコちやんボコちやんも大喜び。蝉・鈴虫・キリギリスの声これがまた琴瑟調和して天女の調べなり。死ぬるまで眠つていたいものである。併し夜は時々ブイブイが闖入し身体を這のである。これで目が醒める。オジブイは標準和名でコフキコガネ、ババブイはドウガネブイブイの事。オジブイは爺さんぽい粉を吹いた茶色の体色だから子供等がさう呼んだのであらう。ババブイは婆さんぽいからかといふとさうではないのではと思ふ。柿の葉などを食害してババ(糞)を大量にするからではないかといふのが主人の意見である。併しこの2種は殆んど家に進入して来ぬ。代はりにサクラコガネ多し。近くに桜並木があるからだらう。これも道路拡張により無くなるといふからサクラコガネも見なくなるかも知れぬ。淋しきものなり。

夜中に其のサクラコガネが電燈に光れて正の走光性により家の中に闖入し家具やら壁やらにカンカンと音を立ててぶつかるから目覚めて仕舞ふ事もある。昔ならそれを追い口にて捕まへられたものだが今は足腰が弱く其の気力も無い。かかる年寄りにとつての難物はお手上げである。吾輩の一番の楽しみを奪わないで欲しいぞ、サクラコガネ殿。でも道路拡張で居なくなつたらそれはそれで淋しいのである。でも余り五月蝿ければ殺虫剤せざるべからず。

|

2007年1月16日 (火)

新編・吾輩は犬である  第4節

去年の夏はバリカンで毛衣を刈られ徹底的に丸裸にされてしまつたのである。否、頭部だけ残しておつた。これをライオンカットといふ。頭以外は動物園のカンガルーを想像される事よろし。ふさふさの毛衣を脱ぎて何かしら俗気が抜けたやうになつておつた。吾輩の耳は何故かお辞儀をしておらぬ。子供の頃はドクトルにより強制的に折り曲げられた事もあつたが10歳を超へる頃から其の縛りが解け立ち始めたり。じやが今でも少しくお辞儀しておる様の中途半端が御愛嬌。

さういへば吾輩は幼き頃から犬猫病院に馴染んでおる。やれケンネルコフやれ腸癌やれ点滴。おまけに腸の癌は睾丸のホルモンと関係有る由にて「抗癌」効果あるとてコウガンまで取られてしまつたのである。かくのごとく甚だ頻繁に病院通ひをし候により病院といふ処を丸で健康ランドのやうに思ひ倣はすと相成り候。病院と聞けばついつい尻尾をブンブン振つて仕舞ふのである。先代の番犬は頗るつきの病院嫌ひ。病院と聞くとブルブル震へて逃げ回つておつたといふ。その先代と比較され巫山戯けた犬と思はれるやも知れぬが、これが吾輩の生来の性格であるから致し方無し。

さてのらやのら。昨今、吾輩の家の庭に野良猫の出没せし頻度多し。特には野良猫でもなき三軒隣りの猫間中納言なども5貫はあらうかと思はれる巨体をゆらゆらさせ象亀かイグアナのやうな緩慢なる歩みで我家を訪問するのである。併し特に悪戯もすることなくのろのろ庭を通過して隣家の庭に去つて行くのみである。ただ又日を改めて又来たる。こやつは飼猫で食つちや寝食つちや寝するのが仕事。であるから斯様な巨体になつて仕舞つたのであらう。そしてダイエツトの為ゆらゆら腹を揺らせ徘徊しておるのだ。

ほんたうの野良猫もつと痩身なり。とりわけニヤーちやんなる名の野良猫は軽業師の如く2階のベランダまでトユを攀じ登つて来て椅子につくねんと鎮座し辺りを睥睨してゐるのである。或は浩然の気を養つてゐるのか或は遠方を見晴るかし豁然大悟したのやも知れぬ。だが吾輩も番犬の端くれ、目溢しはせぬ。きやつを発見次第狂乱怒涛の追跡劇。脱兎の如くベランダに駈け付くるのである。

併しきやつは忽然として消へて杳としてベランダに姿無し。ふとお空を見るにきやつはムササビの如く空を飛翔し松の木に飛来し幹をおするすると地面に降り其の侭遁走せり。またしてもやられたり。主人のそつと来たりておもむろに一句。「月浩く空飛ぶ猫の黒き影」。下手糞な句である。では吾輩も一句。「猫逃がし月の白さはこたえたり」。

吾輩もきやつのやうに空飛ぶ犬になりたきものである。だが剣呑剣呑。かのニヤーちやんは吾輩を爺さん犬と見なし嘲笑ひ運動神経鈍きと看破してゐるのであらうか。吾輩はじじいではあるが番犬としてのモラールの衰へ寸毫もない積もりではある。しかあれどきやつは吾人の評価では特別身軽ではある。五輪選手クラスでせう。

|

2007年1月17日 (水)

新編・吾輩は犬である  第5節

吾輩らの朝一番にせなばならぬ事は神代より決まつておる。散歩と排便これなり。主人も朝一で朝市には行かぬが便所にどたどた屁をひりながら駆け込む。吾輩はこの主人のいつもの動きや臭いを察して瞬時に目覚むる。併し足腰弱く中中立てぬ。丸で平三平の動きを何回かして、やつとどつこらせと立ち、脚をポンとたたき、便所の戸の前に居たり鼻にてくいくいと戸を開け便所内に座るのである。戸が中中開かぬ場合は戸の前に座り、ひーほひーほひーほ、と妙なる切なる怨なる声で鳴くのである。さうすると主人は戸を少し開ける。これで便所内に入れるので大満足なり。便所内に入れて貰わなければ吾輩の、ひーほひーほ、なる鳴き声が暴走族の騒音の如く大きく高くヒートアツプし手が付けられなくなるを主人は知れるによるなり。

而して朝の行事を終へると愈々待ちに待つた排便である。排便の模様は吾輩らにとつて一大事業ではあるが尾篭につき紳士淑女たる読者諸賢には余計千万であらうから割愛す。朝は矢張り散歩。一口に散歩と謂へども六つかしきものなのである。その道に通暁するに三年。吾輩も小僧の時分は、リードを咥へ先頭きつて威風堂々のろのろ歩く主人を引つ張つたものである。この頃は主人を散歩せしむるものと勘違ひしておつた。主人の如きは苦虫と正露丸を噛み潰したやうな顔をしておつた。これでは主従混沌たり。

二歳の頃になると主人が歩めば其の真横をありく主人が止まれば吾輩も真横で止まる。丸で一心同体であるかのやうな妙なる規律を習得せしめたのである。若さ漲る中年位まではそれでよかつた。ところが年老ひて来ると散歩がなにやら億劫になつてしまつた。昔は一里や二里ぐらいなどなにほどのものでなく颯爽と肩で風切つて散歩してゐたものである。併し昨今は家を出て数十歩もすると頭と目玉は家のほうをうらめしげに見てゐる。夏は足裏の肉球が冷めやらぬアスフアルトに触れ堪らんこと冬はちめたいこともあるのだが散歩の気力衰へたことが第一なり。夏は家の涼しき板場で太平の安楽・無可有郷の如き一刻も早く得たい。冬は猫の如く犬用炬燵で丸くなりたい。了見からして昔の吾輩ならず。犬は歩くが身上ではあるが吾輩も老ひたり。

かうして家でごろごろするによつてか夏場の吾輩のカダラに犬蚤が湧き至つたのである。主人は目聡くそれを見つけ又又バリカンで一分刈りである。それから風呂で蚤取りシヤンプー。それから主人の蚤潰し。吾輩は特にすることもないので主人をふり仰ぐ。鼻の穴には白き毛黒き毛なかにはブロンドの毛が生へいたるを見る。そして黒き鼻糞もころころと有りたり。主人が呼吸するたびに鼻毛が戦ぎ鼻糞万金丹がこちらに飛んで来るやうでどうも落ち着かぬ。

そやこやして100匹ぐらいの蚤が潰された。しかし吾輩にイヌノミなどつくのか不可思議不可測である。吾輩はどの犬とも接触しておらぬ。専門に喙を容るる理由とてないが、吾輩不審に思ひ天眼鏡をばちよいと掛け『犬猫の皮膚病カラーアトラス』なる病気の図鑑のイヌノミの項を見るに駆除が色々六づかしさうである。犬が剣突を喰わされたのである。

|

2007年1月18日 (木)

新編・吾輩は犬である  第6節

ちとばかし訂正せねばならない事が出来たのである。この侭放置するならば容易ならざる不都合が諸氏に生じるであらう。其れといふのも昨日も足などに赤い炎症がぽつぽつと見られ痒い痒いと愁訴するの現象が観察されたのである。又ご存知のやうに吾輩は丸裸で小型のカンガルーのことであるワラビーのやうな外見になつておる。主人が蚤をぷちぷち潰してはおるが板場で寝そべつておると又しても蚤がたかるのである。これまで300匹ほど潰されたであらうか。潰しても捻つても潰しても捻つても翌日のコケコツコを聞く頃になると、湧いて来るが如く子供の寝しよんべんの如く吾輩のカラダに蚤めが平気のへいざで何食わぬ顔して膏血を啜つておるのである。

平平然としておられず暗澹たる心持なり。さては家ぢゆうが蚤の棲家になつておるのだらうと早速蚤退治の薬剤を主人に所望し買ひに行くやう命じた。飄然と主人は吾輩の言ひ付け通りホームセンターにて薬用ノミ取りリンスインシヤンプー愛犬用1本とカダラに薬液を垂らす事によつて駆除するノミ・ダニケアスポツトといふ無花果浣腸のやうな形状のもの、そしてアー●レツドといふ発煙作用により部屋ぢゆうの蚤を駆除する薬剤を購ふてきたのである。これだけ霊妙なる荘厳なる薬剤を仕入れおればお釈迦さまも文句は言ふまい。

吾輩は吾輩で主人がとらまへて潰し置きし蚤をば練り雲丹の空き瓶に嬉しさうに溜めてゐたものをば顕微鏡観察してみた。よく見るとなんとなんと「イヌノミではニヤイもんだワン」。右の洒落の指し示すやうにネコノミであつた。昨日はイヌノミだと言ひ放ち吾乍ら頓珍漢であつた。鈍呂間との冷罵あまんじて受けん。日本にて犬につく蚤は殆んどネコノミであると『家畜臨床寄生虫アトラス』といふ図鑑のやふなものに書かれておる。

犬に猫蚤・猫に犬蚤、異なものよのう。されど深く考へないやうにして置かう。幼虫は3齢までありて3齢幼虫は糸を吐きて繭を作り其の中で蛹となれると。1世代の長さは温度で異なり2週間から140日とな。10倍も違ふのか。人間にも寄生すると。道理で主人の足が毎年宿痾の如く赤発が出来痒くなるのである。卵を1日に数個ばらばら動物の身体や巣に産み落とすとな。う~ん、しぶといやつだニヤンともいワン。

これで吾輩が他のわんちやんと接触せぬのに犬蚤ならぬ猫蚤が吾輩の蛸足の如く恋ひするが如く吸ひつきおる謎が半分解けたのである。結句、猫だ猫だ猫踊りなり。家ぢゆう野良猫が欲しい侭に徘徊しておる。であるからにして猫蚤が喰らひついて来てもなんの不可解なことあらん。野良猫は侮るべからざるの手合なり。皆々様野良猫の蚤には気をつけませう。併しまあ癇癪にさはる猫どもであることよ。吾輩のテリトリーまで侵入し尚且つ猫蚤をばばら撒くとは矩を踰へておる。繰言ばかりで諸賢には相済まぬことではあるが吾輩の歯軋り察せらるること冀ふ。

|

2007年1月19日 (金)

新編・吾輩は犬である  第7節

さて話頭を転じて、吾輩は犬並に寝そべつて電気紙芝居なるものをぢつと或は漫然と観賞するのである。ドラマの筋など追ひかけて観てゐるわけでなく局限されたワンシーンをワンダフルわんわんと言つて観るだけである。そのワンシーンとは御馳走を俳優が頂くワンダフルなるシーンである。お皿に御馳走を入れたものを俳優がガツガツ旨さうに食らふワンシーンを主に好んで観てゐる。下等なる猫が食ひ物を喰ふシーンはニヤンシーン観ても面白くもなし。矢張り高等な犬のゴハンシーンがよし。

俳優としては昔はかわゆいチワワのくぅーちやんやとぼけたラブラドールのごんた君が居たが見かけなくなり今はもう名前も覚へられないほど俳優は仰山居る。但し犬には名前がVの中でも出て来るが猫は猫缶や財津一郎と共演してゐるものらに於いても何故か無名である。この現象の本質をば究むれば猫と犬の文化わん類学または文化にやん類学上重要なる法則発見があるやも知れぬ。また主に広告に出演してゐるこれら俳優らはアイドマの法則に曰く人間が最も目が行く、赤ちやん・美女・犬猫などの動物の一つ。この三つの中で最大注目効果のあるのは犬猫等ではあるまいか。赤ちやんは赤ちやん自身はそんなに目を引くものではなかろう。美女は注目する性別に偏りがあろう。犬猫は偏りがない。このやうに消去法でやると最大注目効果ある威力者こそがが吾等犬猫なのである。そして飼育頭数を勘案するに猫より多い吾等犬こそ世界最強の宣伝効果ある栄誉を得るのである。

主人などは時々吾輩の背中にアナウサギを乗せアナウサギの背中にテンジクネズミを乗せテンジクネズミの背中にハムスターを乗せて親亀小亀孫亀曾孫亀の青巻紙黄巻紙赤巻紙茶巻紙のやうな舌が腸捻転を起こすやうな事をして無聊を慰めておる。これだけ動物を重ぬればさぞかし広告効果絶大であろう。さて広告とはべちのスーパースターは誰やあらん。管見を述ぶれば人間という者ほど役者はおらぬ。吾輩らのやうに美麗なるカダラはしておらぬが口八丁手八丁でよくもまああれだけ役者になれるものである。吾輩らは本然の性を無作為に晒す。対して人間といふ者は生まれながらの役者じやのう。役を終へて本然の性を有りの侭に現はす時やありやなしや。多くは冥土に旅立つ時であらう。

このやうなことばかり話していると吾輩は気楽な犬よと思はれるかも知れぬがさにあらず。電話がかかつて来るとワンワンワン。玄関の戸が開くとワンワンワン。見かけぬ人を見るとワンワンワン。よく知つてゐる人や犬には吠へない。猫は知つていても知らなくても吠へて追ひかける。龍騰虎闘ならぬ犬わん猫にやんの壮観なり。とくに泥棒に対しては厳しい。これまで数人の泥棒を追い返した。吾輩は番犬である。

泥棒らしき者は午前3、4時によく来たる。窓やら戸を開けた形跡を残しておる。泥棒も家の中に番犬が控へおるとは計算外だつたろう。鬼面人を驚かす。かぶりに行く併しギリギリのところでかぶらない。今まで人間を噛んだことなし。最近はあんまり来なくなつたなり。吾輩が居ることをご存知のやうなり。吾輩普段は胡乱のやうでもいざとなれば為体なし、無様なし。これ吾が骨柄なり。番犬といふのは♂が適してゐると思ふ。であるが今の時代、先端技術は紐育では「子宮移植」の段階に来てゐる。♂に赤ちゃんを産まさうとする時代になるかも知れぬ。もう「脳移植」の一歩手前なり。番犬に♂♀もない近未来か。吾輩はニューハーフである。

|

2007年1月20日 (土)

新編・吾輩は犬である  第8節

暑い。暑い。暑い。最前蚤取りシヤンプーを兼ねて盥にて行水したにも拘らず小一時もすると砂漠のオアシスから灼熱地獄に逆戻りである。畢竟この分厚き皮衣を脱いで物干竿にでもちよいと引つ掛け白熊君や一角獣君のやうに氷風呂にでもよばれないと遣り切れなぬものである。早速、竹屋竿竹の巡回軽トラを待つことにしやう。

夜は夜で暴走族の傍若無人なる爆音である。さしもの八面玲瓏八方美人村夫子然たる吾輩も堪忍袋の緒も切れやうと云ふものである。救急車のサイレンならば美声をもつて唱和しウオーと遠吠へも致さうがあれは駄目だ苦手だ。吾輩の最高の楽しみなる睡眠もば無碍に妨害するからである。睡眠一日22時間のところが21時間に減づるのみならず排便の時間がずれ込むのである。丑三つ時などに目覚むると誰も戸を開けて呉れる者無し。我慢して朝を待つ。朝が来た。飛び出す。勢いが付き過ぎてこないだなどアスフアルト道路の真ん中まで行つて仕舞つたのである。そこで我慢も限界と脱糞に及んだのである。すると自動車がゴーと走つて来る。間一髪で轢死するところであつ。のんべんだらりと生きているやうで危険が危ない事は何処に潜んでゐるか解からぬものである。あとで主人に怒らるるのなんの。大説教。吾輩は喃喃として喋喋として悪いのは暴走族の爆音であると諄諄と説明しても聞く耳持たぬ。馬耳東風鯨飲馬食牛糞犬糞とはこの事か。鶏犬相聞こゆ里でないのが残念至極である。

併し事故死して爆音の代りに迦陵頻伽や極楽鳥の妙なる美声を聞くも好かつたが生きて百年の眠りを楽しむるも又好し。吾輩は交通事故寸前で生還したるが交通事故で死にたる同輩もこれあり。名を石松といふシーズ犬である。吾輩が御幼少の砌只で貰ひ受けたさうな。といふのも生まれ乍らの片目。乳児の頃眼球炎を起こし片目を失明したとか。独眼ゆえに森の石松に因むと。石松君はだうせなら石松より独眼竜あるいは勘助と名付けて欲しかつたと頻りにぼやいでおつた。

同年輩ゆえ吾輩と良き遊び仲間であつた。されど大喧嘩したこともあつた。吾輩は今は老年なのかニューハーフなのか至極大人しい犬になつておる。小動物や人間をかぶつたことは一度もなし。その事件ありしとき吾輩1歳、石松君も1歳。血気盛んなり。ささいな事で喧嘩してしまつたのである。のみならず石松君の残れる一眼をかぶつてしまつたのである。石松君病院で眼球摘出で全盲とあい成れり。吾輩口まだ乳臭ありし頃の誤りなり。喰ひ物を巡る争ひではあつた。倉廩みちて囹圄空しか。

されど全盲となりても石松君は散歩大好き。見へないのに散歩に行く。あちらにぶつかりこちらにぶつかりしても尻尾ふりふり大喜び。リードしておりしが其れを振り切つて道の真ん中に走つて行つた。そこに自動車が衝突。石松君転倒したるが不死身なのかひよつこりと起き上がつたのである。見へない目で主人を探しよろよろよろり。主人の腕の中に入るや倒れたのである。すぐ舌が口から出て鼓動なし呼吸なし。出血など何処にも見られず外傷なし。脳内出血ではあるまいか。一年余の犬生であつた。このやうに犬の死に際はぎりぎりまで死に落つるを堪へ主人に触れる或は主人を見るや安心して死ぬるといふやうなところがあるやうである。先代の番犬の場合も主人を見るや死んだ。といふ事は吾輩も主人を見るまで死んではならぬのか。猫君は逆に放し飼ひにしてゐると死ぬところを見せぬといふ。さういへばさうだつた。

|

2007年1月21日 (日)

新編・吾輩は犬である  第9節

吾輩はライターの火を目前で主人がパチパチジッポポーと戯れ且つ実験をばやられても平平の然然としておるのである。動物は火を恐怖すると云はれる。併し吾輩は雷鳴や雷光は大大嫌ひでぴかどどんと来るとブルブル震へ机の下や人間の足元に隠れるも小さな火や便所場の電球の如きには寸毫も動じぬのである。テレビでは時々芸人犬珍犬として煙草の火を消して廻り消防署から表彰された同族を見るが、猫には連木で腹を切るに等しからう。其れと動物心理が解かるアニマルコミニユケータによれば泥などわざわざ身体にねつとりとなすり付ける犬は飼主におのれを注目して欲しいと思つてゐると云つてゐた。吾輩はさういふ仕草はせぬのだが先代の番犬は散歩の折り泥やら草の汁やら腐敗物をポマードの如く頭などになすり付けていたとの主人の報告があつた。さうか先代は大抵外で鎖に繋がれてゐたから淋しかつたのか。先代も只匁で貰われて来たのである。クロラブと柴の合いの子なり。

小さき火は砂糖水の如きものであるが煙草の火にはさしもの好好爺たる吾輩も眩惑し困惑す。じつは火といふより鼻毛が出た鼻の穴やら河馬のやうな口からもくもくと出る煙が嫌ひなのである。輪つかを作られこちらに飛ばされるとちよいと鼻で避くる。更に煙といふより其の臭ひが一層嫌ひなのである。されどこの数年ほどは煙草の気遣ひ無し。主人煙草止めたからである。なんでも咽喉に腫れ物のやうなものとか肺臓の内部数箇所に軽い痛みの感覚あり。其処ですつぱり禁煙したといふ。何十年間1日2箱でも意外に簡単に止められたといふ。其れから数年痛みは消滅。癌なら煙草を止めても消ゆる事ないであらう。癌ではなかつた事は確か。癌だつたら今ごろ冥土で先代の番犬らの散歩をしておろう。何か分からぬが兎にも角にも禁煙の効果が出た。よき警策であつたか。禁断症状も全く出ず3日で止められたから警策でも無し。

主人の噂話では或る事務所の中年男性に会ふ度に段々声が低くなるので不思議に思つてゐた。本人に効いても口を守ること瓶の如し。さうするうちに其の五十男は事務所に出勤しなくなつた。そこらの人に尋ねると癌で入院し手術せしと云ふ。暫くして出勤してゐたが声が出なくなつてゐた。咽喉に穴が開いていた。其の後半年ぐらいで其の人は他界した。吾輩もかつては直腸癌であつたので犬事では無し。最初は排便のおりウンコに血がついてゐるにより気づかれた。其れ依頼手術そして通院3年の睾丸点滴(月1)。治療が奏効しなんとか平均寿命ほど生きておる。

さて、子供らのやる線香花火や鼠花火も怖くは無し。鼻先を子供のやる花火に近づけて楽しむ。じやがあの煙硝の臭ひはあまり好きではあらぬ。川まつりで行なわるるやうな大きな本物花火は遠くで見る分にはだうでもない。近くで見ると花火の開花よりドーンといふ音に雷鳴ほどではないが狼狽する。最近は花火を写さうとしてケータイの無数のフラツシユに目が行くが此れには驚かぬ。なお若い女性のはんなり浴衣姿は丸で興味なしじや。じやが花火見物で犬の衆が連れ歩かされてゐるのには必ず目が行き首が向くのう。明日たぶん川の花火大会である。吾輩も偶には1人で見物に行つてこやう。なにわともあれ風好風好。

|

新編・吾輩は犬である  第10節

今日は人間の世界で大きな殺し合ひが終つた記念日であるさうな。其れもあるのか一天四海なにやら静寂にして祈念漂ふかのやうに近所の悪餓鬼らのがやがやわいわいも繁忙なる自動車のぶつぶつぷつぷくりんも聴こへて来ぬ。懈情なる吾輩も何事かと四辺を窺がひたり。外は柔らかき零雨にて内の主人は鼻提灯をば膨らませ萎ませかと思へばパチンと割り未だ鼾睡しておる。枕元には日本語で書かれた「哲人28号」といふ難険難解なる書物が開かれた侭で絵に線を引き書き込みがあつた。「正太郎君のリモコンは取つ手が二つだけであるに拘らず何ゆえ哲人は首が回らない事を除いてロボツトコンテスト程度のやや複雑な動きが出来るのであらうや。これ工学上哲学上の大大問題なり。あまつをとめの手助けありやなしや」と。

吾等犬族にはちよつとした喧嘩はあれど戦争など唯の一度も無きゆゑ終戦記念日など有りやうもない。テレビの犬HKを見ているとチンパンジーの戦争というのをやつていた。アフリカ中部で撮影されたシヨツキングな映像であつた。群れ毎に縄張があり或る縄張に別の群れが侵入してくると縄張支配の群れは群れで侵入者を襲ひ殺さうとするも殆んど逃げられるもアカンボがとらまえられ殺されバラバラにされ其の肉を仲間に分け与へむしやむしやと食べられてゐた。同種間に於ける戦争的行動と食猿行為である。人間を含む霊長類の或る種のものはこのやうなる行為行動をとるらしい。ただチンパンジーに近いボノボなる種は、至つて平和主義猿でこのやうな行動行為は未だ見つかつておらぬ。或る教育勅語世代の焼け跡闇市派の曰く空襲で米国の戦闘機から機関銃でバリバリやられ其の一瞬メリケン人の顔が見へたとか。子供でも容赦なく射殺さうとするメリケン人も居たといふ事なりや。防空壕も残つており其処には水晶の原石があまた在つたといふ。

当時の子どもさんは水とん・芋の蔓・山菜・野草など食つたと云ふが田舎のほうの田圃持ちの人はあながちさうでなく白い飯も喰つてゐたと或る経験者語る。吾輩は日頃ドツクフードであるが人にいろいろ貰ひに行く。どうもドツクフードだけではひもじいのである。こないだなどは1ケ100gほどのハンバーグが床に落ちていたので其れを平らげて仕舞つた。ところがあとで調べるとハンバーグには玉葱の微塵切りが入つてゐる。犬に玉葱は厳禁んり。血球を破壊し中毒を起こすからである。大量に食べると死ぬるかも。ところが何故か異状がなかつた。玉葱の分量がそれほどでもなかつたのか吾輩が丈夫なのか。

ところで鈴虫を飼つており八月でもあり涼しげなるリンリンが聴こへるは好い。ところが蓋の無い容器に入れてゐるから夜になると飛び出して来るのである。折角鈴虫マツトなどの産卵用の資材を購つても此れじや意味が無い。不思議と雌ばかり脱走するのである。信州の美ヶ原とか貰ひ物なので色んな土地の鈴虫が同棲してゐる。何ゆゑか知らぬが主人は蓋をしたく無いやうである。困つたものである。まあ好いか。元々容器などに棲息する者でも無い。庭にはお仲間の閻魔蟋蟀や綴刺蟋蟀や鉦叩きや鈴虫や草雲雀まで鳴いてゐる。今のところ鈴虫が一番威勢が好い楽士である。

鈴虫の鼻先だけの暮色かな   吾輩

|

2007年1月22日 (月)

新編・吾輩は犬である  第11節

嗚呼、よぼよぼのよぼである。頃日寝そべりたるも飽き、いざ立たんとする折り此れが又難儀なのである。先づ前脚で踏ん張る。この動作のおり大抵床をするするつるつる脚が滑ること屡ふにやふにや蛸歩きの如し。如何に円転滑脱なる吾輩も若き頃と今では動作、雲泥万里なり。前脚どうにかこうにか立つれば次は後ろ脚と尻である。此れが又難物なり。ああどつこいしよああよつこらせの掛け声ばかり先走りし。平三平のやうに音頭の如くあぶくの如く口から空手形のやうに出るが腰は一向に上がらぬ。其れでも10回程いきばむと重き腰もやつとかせ上がる。かう書くと介護の要ある犬かと思はれるかも知れぬが、さにあらず。一旦立てば普通に歩けるのである。併し今度は座る段になると面倒且つ時間を要す。足腰が弱るとはかういふ事なり。

テレビCMに19歳のシーズー犬が出演してゐる。相当なるご長寿なり。人間で云へば金さん銀さん位か。其の犬は後脚が立たなくなつてゐる。其処で犬用オシメの宣伝となる。其処までは未だ至つてはおらぬが日にそへてぐたつく今日この頃である。其れを顕著に含痛するは小用のおりなり。中年ぐらい迄は後足1本上げて排尿しておつたが高年になりてからは脚1本がなんと上がらないのである。つまり吾輩♂犬にも拘らず♀犬と同じポーズで小用するわけである。いな、少々異なるな。♀犬は四つんばいではあるが後脚を少しく屈め中腰で用を足す。吾輩はさうではなく四本脚を総て突つ立て用を足すのである。此れは老化現象なのか去勢のせいなのかよくは分からぬ。

併しこの姿勢は♂犬にとつて屈辱以外の何ものでもあらぬ。主人曰く吾輩が用を足すおりの顔の憫然たる事計り知れずと。上目遣ひに主人をふり仰ぎ眉は恐縮して歪みおる様往時と全く異なると。然も四肢間にじょんじょりであるであるによつて1、2本の脚の濡れる事もあり其の気持ち悪きは吾が顔にいでにけりと。其れでも歩ける、立てる、自分で小用できるだけ有難き事なり。嗚呼昔日は遠し。嗚呼、後ろ片足を凛と上げ四辺を睥睨したきものなり。

主人、吾輩を慰むるに昔の田舎では人間の♀も立つて小便したし現代の様式便所では♂も小用せざるべからずと。小便を立つてしやうがしやがんでしやうが大差なしと。家のマルチーズの1匹(♀)は年老いて尿路結石になり小便が詰まりて尿毒症かなにかで死す。12歳であつた。結石は痛いらしい。痛くて気絶するといふ。

|

2007年1月23日 (火)

新編・吾輩は犬である  第12節

散歩嫌ひになつて仕舞つた吾輩の為に主人は自転車の前籠に吾輩をほりこみ御近所を一巡したのである。ハンドルの舵取りよろよろよろりんこ。吾輩も主人と同じくごんごん尻かばちに震動が遠慮会釈なく伝はり心地よきものではなかつた。行き先の小さき公園ではアオスジアゲハやクロアゲハが軽快に飛翔し、大方の犬たちが足で散歩してゐる中を自転車に乗つて牛車の公家駕籠の大名の如く目の散歩なりけり。久し振りにあまたの犬を目にせしゆゑ大悦至極。顔見知りなるシエルテイ犬・ゴン吉君も風切つて呑気な顔して疾駆しておつた。時々ゴゴゴゴ哭して興奮し乍ら涎を垂らしてゐる様はいつもの事である。

この公園にも野良猫が居着いており2年前に吾輩が足で散歩しに此処へ来し折りに見掛けし「ぬし」のやうな猫も又今此処で見かけしなり。この猫のなりはいは駐車場に駐輪し休憩するドライバー目当ての物乞ひである。お弁当なんぞ箸を付けやうものなら抜き足差し足音無しの歩みにて運転席のすぐ傍に招き猫の如くぽつねんと座りニヤーオニヤーオと強請り鳴きけり。ドライバーが蒲鉾や茹で卵等の切れ端を投げると名キヤツチヤーで前脚二本でドカベンの如くしかと受け取り落とす事は100パーセント無し。ドライバーが弁当を食べ終はると次の駐車自動車に近づゐて行き同じ事を繰り返す。まあまあ美形猫なりて普通の野良に較ふれば妍醜瞭然なり。弁当時間酣こそ稼ぎどき。其の稼ぎが好いのだらう野良猫にしては丸々と肥つてゐる。

この猫は雌であるらしくパンパンに膨らんだ腹をしてゐし時もあつた。今はスリムな腹をしてゐる。不思議な事に其の公園には子猫は見当たらぬ。其れどころかこの公園での野良猫はこの一疋である。物乞ひで生きて行くにはこの公園では一疋が限界なのか。吾輩のやうに呑気に飼ひ犬として何不自由なく暮らしてゐる者には野良の苦労や気持ちは解からぬか。凄風苦雨の野良は平均寿命も相当低きかな。野良猫でも住宅地では猫口密度は高い。人口密度が高いぶん物乞ひもしやすく残飯もそこそこ出るからか。さういえば東京のやうな大都会でも都心よりも世田谷のやうな人口と棲み易さが伴つてゐる処に野良猫が多いことは其の写真に撮られた数で判る。

吾輩も野良猫に生まれてゐたらだうなつてゐたであらうか。仔犬の砌は病弱だつたからパルボやジステンパーで早死にしてたかも知れぬ。野良は必死のぱつちで生きておる。其れに較べ吾輩は安穏至極な生活で13歳まで生きて来た。吾輩がそこそこ長生きして来た裏には無数の犬猫の若死にがある。此れは人間界に於いても同じであらう。これ滔滔たる生命の万古不磨なる真理なり。徹骨徹髄に感ずべし。

|

2007年1月24日 (水)

新編・吾輩は犬である  第13節

吾輩の皓歯は御幼少の砌に家の柱をば歯が成長ゆゑ痒くて痒くて齧り過ぎ一本口から水平に飛び出しておる。主人は金槌でとかとんとんやつてはみたが治らず其の侭放置されて幾星霜。今や好きチヤームポイントである。チヤームポイントの大きなものとして吾が犬種には体毛がある。

夏はふさふさ犬にとつて嫌な季節である。冬は犬用蒲団の上にて寝ておるのであるが春になると板場そして夏になると其れでも堪らず玄関の土間で、ひーほらひーほらうめき乍ら寝るの始末である。こりやたまらんわん。真夏になりぬれば例年行き付けの散髪屋に行くを待ち望んでおつた。緑のゴムで蔽つた台の上に立つた侭とんと乗せられトリマーなる犬の美容師が鋏とバリカンにて顔と首周りと尻尾の先以外の体毛を5分刈りほどに短くするのである。されば此れをライオン・カツトと云ふなれ。

丸で雄ライオンのやうな鬣・尻尾。シエルテイの体毛は上のほうと下は異なり下はみんな茶色であるからライオンの一丁あがりとなる。これで吾輩も街中を威風堂々と闊歩でけると云ふものである。このライオン・カツト〆て8000円也。

ところが去年は主人自ら間に合わせの台所鋏でちょつきんちよつきんちよつきんな。さてはカツト代を浮かさうとしたのか。鏡にて出来栄へを見るに仰天至極。だんだらだんになつておるではないかいな。これぢやライオン・カツトではなくタイガー・カツトぢや。

のみならず何やら主人はワンカツプをばやり乍ら散髪の出来栄へを撫でて確認しておる。上出来だと自画自賛までしておる。アルコールの臭ひは大嫌ひぢやといふに近づく。加へてフアツシヨン扇子のないこと甚だし。ステテコ一丁で上半身裸である。黒い乳毛がひよろりと1本縮れて生へておる。其れで吾輩の散髪仕立のおカラダを撫で愛づるものだから吾輩の切られし毛が上半身に張り付き丸で毛物である、雪男である。かかるがゆゑに夏の主人にあまり近づきとうないのである。おまけにワンカツプまで呑まされたら堪らぬ。

さうさう、13歳にもなると一旦切つて仕舞つた体毛はなかなか元も戻らぬ今日この頃。お蔭で寒いから今は毛糸のジンベさんを着用してゐるのである。

|

2007年1月27日 (土)

新編・吾輩は犬である  第14節

盆である。墓迄仄行し胸分せし。精霊蜻蛉がちろちろ飛んでゐた。此れに乗りて御先祖様が家に帰るのだと主人は道々薀蓄をぴちやぴちやぷりぷりと雲古の如く垂れ落としけり。おまはんも仏さんになつたら弔つてやるから尽日寝飽くるほど眠りこけていないで偶には掃除やら炊事でもせえとか嚢中には多少の堵物も有るから今直ぐにでも犬猫の葬儀屋を呼んで犬猫の墓にでも入れてやるとかなんとか余りやいやい言はれるによつてうんざりしてゐるのである。盆花を供へ前回の七日盆の折り姫榊の生へている処を確認してゐたによつて其れを採り供へる。この姫榊は当地ではシャシャキと云ひスーパーや農協系の店で販売してゐる。墓に供へられし仏花を見ても圧倒的にこの木である。偶に樒を供へられし墓もあり。花は菊が矢張り多い。ワンカツプを墓前に置きしは酒飲みだつたのか。

御先祖様を連れて帰つたからと云つても仏壇がある位で別段何も設へてはゐない。まあ果物は供へてあるか。葡萄・バナナ・桃・蜜柑・林檎。これらみんな吾輩は食する事ができるのである。ところが加古川メロンといふマクワウリの1種だけは駄目である。見た目は旨さうなので強請る。口に入れて5秒すると志村けん師匠のコントのやうに口からポロリ。何回やつてもポロリ。結構甘いものなのだが、なぜポロリといふ仕儀に至るか等他の果物との差異は何処やと主人ともども考へ込んで仕舞ふ。それとどうもこの家の趣向は毎年毎年変はる。吾輩が見てもほぜらいである。今年の趣向として電気紙芝居で太木数の子先生が宣ひし方法、割り箸を半分に折り其れを畑で採れた茄子と薩摩芋と胡瓜に4本づつ差込み脚の如くし玉蜀黍の鬚を尻尾に見立てて付けるといふものである。どこでもやつてるジヤン。数の子先生に聞く迄もなし。七夕馬とか迎へ馬とも云はれるものである。

13日はボンサンが来た。祥月命日で御馴染みである。吾輩はボンサンが来るやワンワンワンと来駕を知らせる。ボンサンは「おはよう」と吾輩に言ふ。十年来の仲であるからツーカーなのである。吾輩はボンサンのお経も有難く拝聴する。畳の間である仏壇の間には吾輩らは上がれない掟になつており廊下の板場で座してといふか寝転んで首だけ敷居に乗せ読経を聞く。勿論、ボンサンの背中の袈裟を見つめておる。お経なんぞ何百回も聴いてゐるから暗誦できる。親鸞聖人の「正信偈」などお手の物。聴かせて進ぜやうか。「帰命無量寿如来(中略)唯可信斯高僧説」。どうだ読了だ。「中略」が好いだらう。これがないと百人中九十九人は寝て仕舞ふ。肝心なのは「南無阿弥陀仏」この7音こそ一番大事とボンサンは言ふ。読経などが終はりボンサンが席を立つとワンワンワンのごくろうさん。ボンサンも知解しており「さよなら、またな」と。スクーターに乗り帰る。

|

«新編・吾輩は犬である  第13節